真言宗とは平安時代に空海が開いた宗派の名前である。
その内容が顕教に対する密教である。
真言密教とは天台宗が大幅に密教を取り入れたため、天台密教(台密)に対して真言宗が唱えた自分たちの立ち位置の名称である。
「真言宗」とは?
真言宗は日本仏教の宗派名の一つ。
平安時代の僧侶空海(774~835年)が遣唐使として中国へ渡り、恵果(けいか)から密教を学んだ。
それを日本へ持ち帰り、真言宗を確立。
最澄の天台宗とともに平安時代を代表する宗派。
密教はインド仏教最後の展開形式であり、大乗仏教がたどり着いた最高の境地とする見方と、大乗仏教から離れた姿とする見方がある。
歴史的実在人物のゴータマ・シッダールタよりも宇宙の根源の仏である大日如来を真の仏と見なす。
真言とは、この大日如来の言葉を言う。
所依の経典は『金剛頂経』『理趣経』など。
現在は高野山の金剛峰寺を大本山とする。
身口意を仏と合わせれば、即身成仏出来ると考える。
曼陀羅(マンダラ。
胎蔵界曼陀羅と金剛界曼荼羅がある)を貴ぶ。
護摩(ごま)という、手順にそって火の中に木札を投げ入れ、祈願することで、災いを取り除き、願い事をかなえることが出来るとする。
「真言密教」とは?
密教は顕教と対になる概念である。
空海の立場からすれば、顕教は明らかに、顕わに説かれた教えであり、ブッダが衆生を導くために説いた仮の教えである。
それに対して密教は大日如来がその真実義を示した究極にして最高の教えである。
真言宗は全てが密教である。
一方、最澄が中国から持ち帰った天台宗は『法華経』こそが仏が本当に言いたかったことが述べられた経典であるとの立場を取る。
ところが、平安時代の天皇・が求めたものは自分たちの願いがかなえられる密教の教えであった。
そのため最澄は密教分野の充実に努め、後続の円仁・円珍・安然らによって天台宗の密教部門が完成された。
これを台密という。
ここに二つの密教の流れが出来る事になり、天台宗の密教に対して、真言宗の密教であることを強調して真言密教(東寺を拠り所としていたので、東密とも言う)という表現が出てきた。
「真言宗」と「真言密教」の違い
真言宗と真言密教はその実質においてさして変わらない。
ただ同じ物を見る角度、強調点の違いと言える。
真言宗は南都六宗や天台宗、あるいは後に登場することになる浄土真宗、日蓮宗、臨済宗などと同じく宗派の名前である。
空海が開祖の一つの宗派である。
真言密教という言い方は、天台宗の密教(台密)に対して、自分たちは真言宗の密教であるとの区別を強調した表現であり、宗派名ではない。
天台宗は『法華経』を頂点とするものの色々な教えを包含・総合した宗派であり、歴史的状況によって密教をその一部に含め拡大してきたのに対し、真言宗は徹頭徹尾密教であるから、わざわざ真言密教というのは重複的表現である。
しかし台密というものが出来上がったので、自分たちの立場を鮮明にするために真言密教という表現が出来上がった。
真言宗を形式的表現とするならば、真言密教は内容的表現ともいえよう。
なお、インドの密教はインドでは滅びてしまったが、チベットに伝わり、土着の宗教と習合し独自の進化を遂げた。
これがダライ・ラマ(観音の生まれ変わりとされる)を中心とするチベット密教である。
近年、ダライ・ラマの訪日などもあり、日本におけるチベット仏教の理解も大幅に進みつつある。