観音様は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)といいます。
菩薩は如来になる前の修行の身分です。
対して、お釈迦様は、釈迦如来。
如来は仏様の最高位になります。
お釈迦様は仏教の開祖。
観音様は慈悲の精神を司る仏様で、私たちの日々の暮らしの心の支えとなっています。
「観音様」とは?
仏教における仏様の位は、最高位が如来、次が菩薩、その次が明王などと続いていきます。
その中で、観音様は菩薩の種類に該当し、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)といいます。
それが一般的に観音様と呼ばれているわけです。
菩薩様は、如来に成る前の、修行の身として語られています。
観音様は、阿弥陀如来の脇侍(きょうじ)として、傍についておられます。
そのため、阿弥陀如来がご本尊である場合、観音様が隣に置かれ、仕えていることを表現しています。
仏様はそれぞれに役割や特徴をお持ちですが、観音様は慈悲の精神や友情などを司っています。
そういった理由で、観音様は庶民の暮らしや日々の心の支えとなり、身近な存在となっています。
また、道端で旅人や子供たちを見守る地蔵菩薩も、お地蔵様として身近な存在となっています。
菩薩様たちは、こうして私たちの生き方や暮らしを見守り、教えを以て、心の支えとなってくれているのです。
「お釈迦様」とは?
仏教における仏様の最高位が、如来です。
その中のお一方が、釈迦如来です。
呼び方は様々ありますが、日本では一般的にお釈迦様、または釈尊(しゃくそん)と呼ばれています。
お釈迦様は仏教の開祖として知られ、悟りを開いたと言われています。
その中でも特に有名なのが、四苦八苦です。
特に、四苦においては、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、そして死の苦しみとなりますが、これら人生の苦しみから目をそらすことなく、自分の人生としっかり向き合い、受け入れたうえで、前を向いて生きていこうという意味が込められています。
また、お釈迦様の説かれた有名な言葉に、「生を問うな、行為を問え」というものがあります。
生まれの不幸にばかり目を向けず、自分の行為や生き方にこそ目を向けよ、という意味があります。
今風な言い方に一言で置き換えれば、「あまりくよくよしないで前を向いて生きていこうよ!」といった感じになるのではないでしょうか。
まずは、そこから始めて、様々な困難や苦しみと向き合ったとき、どのように乗り越えていけば、その先の幸せに近づけるのかを考えていこうよと、教えてくださっています。
「観音様」と「お釈迦様」の違い
観音様とお釈迦様。
これは、日本での一般的な呼び方になっています。
他にもいくつか呼び方があります。
まず、仏様には位があり、如来、菩薩、明王とほかに続いていきます。
その中で、お釈迦様は最高位の、釈迦如来です。
対して、観音様は観世音菩薩です。
菩薩様たちは、如来になる前の修行の身といわれています。
お釈迦様は、仏教の開祖して語られており、多くの悟りを開き、仏の教えを説いた方です。
観音様は、慈悲の精神や友情を司り、その教えを説いてくれています。
また、観音様は、阿弥陀如来の脇侍として、傍についておられます。
阿弥陀様は、極楽浄土の教主として、生あるものすべてに救いの手を差し伸べてくれる仏様で、日本でもお葬式などでよく耳にする身近な仏様のおひとりです。
ですから、極楽浄土へ導いてくれる仏様のお隣に、慈悲のお心をもってお守りくださる観音様がついていらっしゃるというわけです。
そういった意味で、お葬式では、阿弥陀如来と観世音菩薩に守られながら、安心して極楽浄土へ旅立つことが出来るように、お経を唱えるわけです。
また、お釈迦様の教えで有名なのが、四苦八苦です。
生、老、病、死。
この四つの苦しみは、人生から切り離せるものではありません。
自分の生まれや不幸にばかり目をとらわれずに、しっかりと人生と向き合い、それらの苦しみを共に理解し分かち合いながら、乗り越えた先に、さらなる幸せがあるのだと教えてくれています。